Takaday011203 「現代政治の理論と実際」レポート

 

「テロリストアメリカと政治システム」t012141高田裕介

 

テロリズムについて

 

テロリズムという言葉は、terrorと「ism」に分解することができる。「ism」という言葉は英和辞典によると「主義」という意味である。つまりテロリズムというのは、「恐怖主義」という資本主義、社会主義と並ぶ新しい主義だと考える。資本主義は、お金により人を支配し、社会主義は、世の中を平等な世界にしようとする理想で人々を支配する。そしてテロリズム、「恐怖主義」はその名の通り、人々を恐怖により支配するものだと考える。これについて、中世の「暗殺者教団」を例にとり説明したい。

 この教団は正式には二ザリ教団といいイスラム教シーア派の分派である。この教団の創始者、ハサン・サッバ−フは原始イスラム教の復活を望み、この教団を通してそれを実現しようとした。しかし、当時の支配者であるセルジューク朝は、この教団を異端であると弾圧した。そのため、二ザリ教団はセルジューク朝に対し、破壊活動、武装反乱、暗殺を実行した。そして、次第に領土国家へと発展していき、この教団国家は、これらの活動に対する恐怖に支えられて、実に百五十年間続いたのである。当に相手に常に死の恐怖を与え、自分達の領土の支配を認めさせていたのである。

 もしかしたら、我々を支配しているのは資本主義ではなく「恐怖主義」、テロリズムなのかもしれない。なぜならば、核という破壊兵器を保持する国によって、持たない国はいつでも滅ぼされるという恐怖の中で支配されている、といえるからだ。この時代は、先進国によるテロリズムによって成り立っていると私は考える。

 

今回のテロ事件について

 

今回のテロ事件に対するアメリカの対応は、まずブッシュ大統領が「テロ以上の戦争行為」と位置付け、ウサマ・ビンラディンを「主要な容疑者」とし、そして彼の組織とアフガニスタンをテロの元凶として攻撃を開始した。

 アメリカでは次のように対テロリズムの方針を掲げている。

1         テロリズムに譲歩しない。取引をしない。

2         テロリストが起こした犯罪によりテロリストを法の裁きのもとに引き出す。

3         テロリズムのスポンサーとなり、支援している国家に対してその行動を変えさせるために孤立させ、圧力を加える。

 

今回のアメリカの行動のねらいについて

 

今回の事件で、アメリカはウサマ・ビンラディンを法で裁くためにタリバンに彼の引渡しを求めていたが、アメリカ軍関係者は、死体で見つかった方がいいととれる発言をしている。これは法で裁くさいに有力な証拠がないということではないだろうか。

 そのことを裏付けるような出来事として、アメリカはウサマ・ビンラディンを捕まえる機会があったのにわざと見逃したような行動をとっていた。

1               ウサマ・ビンラディン氏が今年七月四日から十四日までアラブ首長国連邦ドバイのアメリカン病院に入院、この間に米中央情報局(CIA)のドバイ支局責任者が同氏に接触していたと報じた。CIAの現地責任者は病院で同氏と接触、ドバイを離れた翌日の七月十五日にはワシントンの本部に報告した。(フランス紙フィガロ)

2               1991−96年にビンラディンはスーダンに亡命していたが、当時のスーダンのエルワ国防大臣(Elfatih Erwa)が1996年にアメリカを訪れ「ビンラディンを引き渡すから、アメリカの裁判所で裁いてくれ」とCIAに掛け合ったが、断られたという話である。1994−96年に連続して起きたサウジアラビアの米軍施設へのテロ攻撃はビンラディンが引き起こしたと断定していたが、ビンラディンを裁判にかけるとなると、法廷でビンラディンの有罪を引き出せるほどの証拠がなかったため、ビンラディンの引き取りを拒んだという。(アメリカの雑誌「ビレッジボイス」)

3               サウジのタラキ王子が98年6月にタリバンの最高指導者オマル師と会い、ビンラディンをサウジアラビアに引き渡す交渉をした。オマルは引渡しに前向きだったのだが、この2ヶ月後、アフリカのケニアなどで米大使館同時爆破テロが起こった。 アメリカはこの事件をビンラディン一派のしわざと断定し、テロの2週間後にアフガニスタンとスーダンの「ビンラディン関連施設」とおぼしき場所にミサイルを撃ち込んだ。タリバン政権は「ビンラディンが犯人だという証拠も示さず、わが国の領土を攻撃した」と激怒し、ビンラディンの引渡し交渉も無に帰した(AP通信の記事)(国際評論家田中宇氏の文より一部抜粋)

今回も有力な証拠を示さずに、引渡しを求めたのであるから断られるのは当然の結果であろう。(有力な証拠を示すのはかなり難しいことだが示さなければやはり納得はしない)

私は引渡しを拒否される条件を自ら作りだし、戦争の口実にしたと考えた。つまり今回の交渉は戦争を起こす為の口実だったのではないだろうか。ウサマ・ビンラディンを捕らえなかったのは、有力な証拠がなかっただけではなく、中東でのアメリカの勢力の拡大、戦力の誇示をするためにも、彼を捕らえなかったのではないか。捕らえなくとも、接触の機会があったのだから何らかの形で彼を闇に葬ることも可能であったはずだ。彼を捕らえず、圧力をかけ続けることにより、いつテロを起こしてもおかしくない状況にしておいたとも考えられる。

強力な力を持つ人が一番難しいと感じることは、その力を使わずにいることだという。

アメリカは今回の戦争で己の力を誇示し、世界に対して威圧しようとしているのではないだろうか。もしそうであったならば、アメリカこそ最大のテロリズムの国である。そうではないことを私は願っている。

 

 メディアの力

 

 今回の事件はメディアの威力をはっきりと示す事ともなったのではなかろうか。

 今回の事件の犯人は誰であろうか。確かにハイジャックした人達が犯人であることには疑う余地はない。しかし、首謀者がいるはずである。首謀者はこのような事をした後によく犯行声明を出しているのだが、今回のテロ事件に対して犯行グループの声明は出ていない。さて、出ていないにもかかわらずなぜか、我々はウサマ・ビンラディンが犯人であるという事を言っているのであろうか。確かに彼は、いろいろなテロの活動を支援し、自分も活動している。だが、我々が知っている事は彼が「有力な容疑者」であることだけのはずである。メディアの怖さはここにあると思う。

 例えば、ある事件でAと言う人物が新聞やニュースである強盗事件の容疑者であると報道する。確かに様々な証拠があり、疑わしき要素が多くあるから載ってしまうのである。だが、ここで我々の多くがこの人を犯人だと思ってしまうことがある。ほとんどの場合は、その容疑者が犯人であるのだが、その人が犯人でない場合もある。そしてその犯人でない人はまた新聞やニュースなどでそのように報道されない限り、我々の認識の中で犯人のレッテルを貼られたままである。

今回のウサマ・ビンラディンも同じではないだろうか。(彼が無実であると言っているのではない)

 メディアは昔から、国家に戦争を起こす、または続行する口実を与えてしまっていた。今回も同じくアメリカに利用されている。戦時中の日本も利用していた。与えられる情報がすべて事実だと、思ってしまう我々もいけないのである。このようなメディアの情報は国家権力によって容易に操作されてしまうものなのである。

 

今回の事件を通して考えた事について

 

今回の事件の構図は「文明の衝突」とか「キリスト教対イスラム教」とか言われている。

アメリカは自らの正義を示すために戦争を起こした。テロの実行組織と言われるタリバンは自分達の信じる自由な世界のために正義の戦いを起こした。アメリカは世界の正義の国と呼ばれている。タリバンはアメリカを悪魔の国とみなしている。アメリカはタリバンをテロの組織、悪の組織とみなしている。一方でタリバンはアフガニスタンのある地域では英雄である。どちらの評価も私は正しいと思うし、本当の姿である。その違いは、その価値観を認める人の多いか少ないかの差であると考える。視点を変えれば常識や当たり前のことですら、あるひとつの価値観でしかない。その常識や当たり前ということを決定しているのが、賛同者の数ではないだろうか。すべてが善で、すべてが悪なのではなかろうか。善が善になりうるのはそれを認める人が多ければ、そうなり、悪は悪になるのだ。

 民主主義というのは、まさにその主義や方法、あらゆる価値を認める人が多ければその考え方でいきましょう、とするシステムである。民主主義は一番良い政治方法であると考えられるが、実は一番最低の政治なのである。(その最低な政治を超える方法がないため今日でも使われているのである。)大多数の意見、価値観を通し、少数の意見は無視するということであり、最大多数の幸福を実現する政治である。

 今回、アメリカのブッシュ大統領は「テロリストを根絶する」と言ってテロリスト達に戦争を始めたが、それは全くの見当違いである。なぜならば、テロリスト達というのはその民主主義に無視をされた少数意見の人達であるからだ。戦争をして今いるテロリストを全滅させたところで民主主義という政治のシステムである限り、無視されてしまう思想や意見を持つ人達がいる限りテロリズムはなくならないだろう。今回の事件の背景にあるのは「民主主義の限界の結果」ではないだろうか。